システマチック・感動
こんにちは。御機嫌いかがでしょうか?めろぱろです。
みなさんは感動されていますか?私はちょこちょこ感動することがあったりなかったりという感じです。ところで感動ってなんでしょうか?あの、うるっときちゃうあれですよね。違いますか?
大切な人との間になんらかの誤解があって、すれ違ったまま一旦離ればなれになって、でもあることがきっかけとなってその誤解が解け、抱擁。こういう、感動を促す型みたいなのってありますよね。それって効率的に感動を呼び起こすことができるんですかね。私は単純で従順なので量産型感動ストーリィにうるっときちゃいます。
ストーリィも地獄の沙汰と一緒で、お金重視のコスパ重視なんでしょうか?というか、ストーリィってそんなに起承転結、苦悩からの解放、俯き加減のち快晴、トンネルを抜けたら菜の花畑…じゃないといけないんでしょうか?ぐうたらしているのは物語として成立しないのかな?疑問です。
売れなきゃ意味がない世界なのかな。
売れなくても必要とされる(かもしれない)存在って良いと思うんだけどな。
でも、ともかく、売れて必要とされることは精神安定になると思う。精神が弱々しい人は売れて必要とされると良いなぁと思う。だから、私売れろ!どこに売るんでしょうね。
以上、感動の不思議についての考察でした。
みなさんと私、いつか熱い抱擁の腕の中にありますように。